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科学と霊性

The Odds, 30" x 30", acrylic on canvas, 2021 by Joydip Sengupta  www.gallerykolkata.com
The Odds, 30" x 30", acrylic on canvas, 2021 by Joydip Sengupta www.gallerykolkata.com

 気候崩壊に直面する中、私たちにはその両方が必要だと、

サティシュ・クマールが説く。

 

翻訳:斉藤 孝子   

 科学は事実について、霊性は感情についてのもの。

 科学は物質と測定について、霊性は意味と謎についてのもの。

 科学は外の世界に関わり、霊性は内なる世界に関わる。

 私たちにはその両方が必要です。

 科学のやり方に従うか霊性のやり方に従うかにかかわらず、私たちは皆、真実を求めています。そうして、真実は一つではないということを知ります。真実は多次元的且つ多面的です。頭で理解できたり、言葉で伝えられたりするような究極の真実はひとつもありません。真実の探求は一生かかる旅です。これはずっと続く過程であり、最終製品ではないのです。真実とは日常的に絶えず発見される謎なのです。

 私たちには文化的多様性、言語的多様性、人種的多様性、生物的多様性があるため、真実の多様性や複数の真実があることを認識する必要もあります。真実は固定された現象ではありません。つまり、真実は常に現れて来る人間の経験です。

 私たちが科学者であろうと霊的悟りの探求者であろうと、真実の探究は非暴力の実践をもって完遂されるべきです。発見した真実がどんなものであろうと、他の人々や彼らの真実を敬いながら、それを伝える必要があります。真実を追究する上で、肉体的、感情的、または知的に誰かを傷つけないようにしなければなりません。すべての人生を敬い、さまざまな見解や哲学を敬うことは、真実の探究に不可欠なことです。真実とは、独断や支配することなく、傲慢や押し付けをすることなく、追究されるべきものです。

 科学においても霊性においても、真実と非暴力を切り離すべきではありません。

 真実を探る間、非暴力の実践は最も重要です。 誠実に生きるためには、私たちは自分自身、すべての人々、そして自然界全体に対して、条件や資格を問わず非暴力でなければなりません。魂は、動物、森、川、海など、自然のさまざまな形の中に在ります。 土にも魂があります。自然は機械ではなく、地球は死んだ岩ではありません。自然は生きており、私たちの貴重な惑星である地球は生ある有機物組織体であり、生あるものたちのコミュニティなのです。 よって、私たちはすべての生命、人間の生命、そして人間以外の生命に対する完全なる畏敬の念を固持する必要があります。

 現れ始めてきている新たな科学と古典的霊性の教えでは、自然と人間の間に分離はありません。科学的伝統も霊的伝統も共に、生命の絶対的な完全性を信じています。サイエンスライターのカルロ・ロヴェリ(Carlo Rovelli)が著したように、現実は外側にある事物でなくむしろ関係性で出来ているのです。そして、神学者のトーマス・ベリー(Thomas Berry)は、「宇宙は主体の交わりであり、事物の集まりではない」と書きました。

 「自然」という言葉の語源的な意味は、単に「誕生」です。生まれるものすべてが自然です。人間は生まれるので、人間も自然です。

 科学から信仰が切り離されてきたため、世界は気候危機に直面しています。際限ない経済的成長や化石燃料に大きく依存する産業開発を追求する中で、科学は商業的利益に利用されてきました。でも、気候安定や生命ある地球の持続可能性という長期的利益においては、科学は霊的価値と結ばれる必要があります。アルバート・アインシュタインは「宗教のない科学は死に体であり、科学のない宗教は盲目である」と書きました。科学と信仰は常に共に在らねばなりません。科学者は、その研究が害悪の目的に利用されない未来へと、身を投ずる覚悟が必要です。医師らが医師倫理綱領の宣誓をし一切害を与えないと断言してきたように、科学者たちも同様の誓いを立てる必要があります。人々やこの大切な惑星地球に害を与えるかもしれない研究や開発に携わらない、と頑とした姿勢が必要です。

 同様に、経済学者、実業家、銀行家、ビジネスマン、政治家、労働組合員も、生物多様性に対して、生物コミュニティや生態系の完全性に対して害を避けることを誓う必要があります。

 私たちはこの気候危機から学び、未来において他の悲惨な結果をもたらしかねない活動には携わらないと、固く心に決めなければなりません。

 信仰は科学、特に気候科学を受け入れる必要があります。科学がなければ、信仰、宗教、霊性は独断的で原理主義者になりかねません。科学者が信仰の指導者に教えられることはたくさんあり、その逆もまた然り、です。私たちは謙虚さと相互尊重の中で一緒になる必要があります。

 科学のない宗教は危険な場合があります。宗教の名の下に、多くの国が戦争を始め、罪なき人々を虐殺してきました。なぜなら、彼らはひとつの真実、彼らの真実を信じ、誰もがその真実に従うことを望んだからです。ですから、宗教的および精神的なコミュニティは、科学的探究の開放性を採り入れ、謙虚さ、非暴力、思いやりを持って真実を追究しなければなりません。

 霊的価値のない科学もまた危険です。科学者は軍国主義の支配者に搾取され、核爆弾やその他の大量破壊兵器を製造するように説きふせられてきました。科学者はまた、生物多様性の減少につながり、気候大災害を増大させ、人間の霊性の完全性を侵しながら、自然を破壊し、廃棄物や汚染を作り出し、環境悪化を引き起こす技術を開発するために、強欲な商業起業家に利用されてきました。

 この科学と霊性の分離が、両分野での実用的な可能性を削いできました。現在の生態系の危機と気候大災害は、私たちに科学と霊性を再びひとつにする可能性を提供してくれているのです。生態系の回復と環境再生が喫緊の課題であることは、科学と霊性の 2 つの伝統の合流点を作り出す稀有な機会と共通のテーマを私たちに提供しているのです。

歴史のこの時点で、私たちは力説せねばなりません。

宇宙は私の国であり(宇宙論)、

地球は私の家であり(生態学)、

自然は私の家族であり(生物学)、

愛は私の宗教です(神学)。

 私たちには事実と感情が必要で、測定と意味が必要です。私たちは自分の外なる世界も、内なる世界も気にかけねばなりません。科学と霊性が必要です。自然界のリズムに完全に呼応した調和ある幸せな生活を送るために、理性と直感の錬金術が必要なのです。

 

サティシュ・クマールは、『Pilgrimage for Peace:The Long Walk from India to Washington(平和への巡礼の旅:インドからワシントンへの長い歩み)』(Green Books、2021)の著者。こちらから www.resurgence.org/shop 入手可。