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新型コロナウイルスは地球の声

 この危機から私たちは何を学べるのか、サティシュ・クマールが問います。

 

 2020 年は新型コロナウイルスの年として記憶されるでしょう。ソーシャル・ディスタンスと都市封鎖の年、そして太陽が輝いていても、花が満開でも、鳥たちが春の甘い歌を歌っていても室内に籠っていた年として記憶されるでしょう。

 私は自己隔離の時間を、恵みとして、精神的なリトリートの時間や内省する時間として使うことのできる幸運な立場にありました。私はルーミーとハーフェズを読み、シェークスピアのソネットを読み、ラビンドラナート・タゴールを読みました。私は「隔離」という言葉とレント[キリスト教の四旬節]の関係について考えました。元々、レントという語はイエス・キリストが砂漠で断食をして過ごした 40 日間を指していることを知りました。私にとって、この隔離の時間は、内なる孤独の時間となりました。

 けれども、ウイルスが世界全体に与えている影響はいつも心に留めていました。そして非常に多くの苦しみを目にして悲しくなりました。人類の大半が、未曽有の危機に見舞われていました。私は 83 歳ですが、これまでの人生でこのように極端で破壊的な状況は経験したことがありません。新型コロナウイルスは自然の力の印であり、人間のコントロールを超えています。多くの人々は科学と技術を通じて自然を克服できると信じています。ところが、自然を克服するというようなことは人間の完全な傲慢であると、自然は新型コロナウイルスを通じて声を大にしてはっきりと言っているのです。新型コロナウイルスは人間が脆いものだという現実を単刀直入に私たちに思い出させているのです。

 自然を克服したいという人間の欲望は、人間が自然とは別のもので、自然より優れた力を持っていると考えることから生じます。私たちは、自然を征服し、自然を人間の支配に従属させるための技術的な解決策をなんとかして見つけると信じているように見えます。

 新型コロナウイルスの根本的な原因に目を向けることなく、政府や産業界、科学者らはウイルスから人間を守るためのワクチンを探しています。ワクチンは一時的な解決策かもしれませんが、私たちはもっと知的に、もっと賢く考えて行動する必要があります。病気に対してワクチンを接種するより、原因に対処する必要があります。(ブレンダン・モンタギュー (Brendan Montague) の記事「ウイルスは資本主義である (The Virus Is Capitalism)320 号参照)

 そのためには、自然と調和し、自然の法則の中で生きることを学ぶ必要があります。人間は他のあらゆる形の生命と同じように自然の一部なのです。ですから、自然と調和して生きることはこの危機から真っ先に学ぶ必要のある教訓です。これは私たちが生きる現代の喫緊の課題です。

 2 つ目の教訓は、人間の全ての行動には結果が伴うということです。この 100 年、人間の活動は生物多様性を損ない、気候崩壊を引き起こす二酸化炭素や温室効果ガスの排出を増やす原因となってきました。人間の活動のせいで海はプラスチックで、土は人工的な化学物質で汚染され、熱帯雨林はこれまでにない速度で消失しつつあります。これら人間の有害な活動は全て、洪水や森林火災、短期間での新型コロナウイルス、長期的な地球酷暑化 (global heating) や気候崩壊といった破滅的な結果を招くことになります。

 自然は親切で寛容であり、慈悲深く思いやりがあります。自然においては全てのものが過ぎ去ります。ですから、人間はこの危機に前向きに対応し、農業、経済、政治システム、そして生き方をデザインし直すチャンスとして使う必要があります。手つかずの自然を尊重することを学ぶ必要があります。生命の豊かな美と多様性を讃えることを学ぶ必要があります。人間が自然の切り離せない一部であることを理解する必要があります。自然に対して行うことは、私たち自身に対して行っているのです。私たちは完全に相互に関わり合っています。新型コロナウイルスは私たちが相互関係にあることを示しています。私たちはお互いに依存し合っています。私たちは一つの地球コミュニティの一員であり、一つの地球家族なのです。

 このような理解、このような世界観が私たちの意識の不可欠な一部となり、社会の本流の構成原理となれば、私たちの優先順位は違ったものになり、違った価値観を持つようになるでしょう。いかなる代償を払ってでも経済成長を求める代わりに、人々の幸福と地球という惑星の健康を追求するでしょう。

 新型コロナウイルス後、従来通りの状態に戻ることは選択肢とすべきではありません。このパンデミックの前、社会は拝金主義ウイルスのパンデミックに支配されていました。そのために森林が死に、湖や川が死に、動植物種が死に、子どもたちが死に、貧困層の人々が死に、戦争犠牲者が死に、難民が死にました。死と破壊が拝金主義ウイルスの帰結でした。

 最近のガーディアン誌の記事に、詩人で小説家のベン・オクリはこう書いています。「本当の悲劇は、よい方向に変化することなくこのパンデミックを切り抜けることです。そうなれば、これら全ての死の、全ての苦しみの 意味がなくなります」

 危機はチャンスです。自然の進化の過程ではたくさんの危機がありました。生命は長い地質時代にもがきながら進化しました。ことによったら、この痛ましいパンデミックが新しい意識、生命は一体であるという意識、思いやりと分かち合いの意識、愛の意識をもたらすことができるかもしれません。

 その素晴らしい兆候を私たちは既に目にしています。医師や看護師、介護士らは危険に身をさらしています。ウイルスの犠牲者のために力を尽くすことに自らの命を捧げています。彼らは無私の献身の輝かしい例です。何十万もの普通の人々が国民保健サービスを支えるためにボランティアをしています。そして地域社会の無数のヘルパーが高齢者や病人の世話をしています。英国政府は個人やコミュニティ、慈善事業やビジネスを支援するため全ての財政規律の一時停止さえ行いました。連帯や寛大さ、相互依存、相互利益が溢れ出ています。人々は深い一体感、心からの感謝、そして多くの方面からの無条件の愛を経験しています。

 ロシア人はイタリアに飛行機 1 機分の医療機器を送りました。中国人はセルビアに同じことをしました。敵意は忘れられています。国家はいつものように競争し、戦うのではなく、相互扶助の精神でお互いに協力し、助け合い、支え合っています。

 異常時にこうした精神的な特質を示せるなら、正常時にもできるのではないでしょうか?私たちが正常時に協力し、連携し、愛し、尊重するなら、異常事態が生じる可能性は低くなります。

 人間の精神がこうして溢れ出ているのに加え、汚染が低減し、自然環境が部分的に回復しているのも目の当たりにしています。澄んだ青空がボンベイ[現ムンバイ]や北京に広がりました。二酸化炭素排出が減少し、人々は再びきれいな空気を吸うことができます。異常時によい環境を作れるなら、正常時にも作れるのではないでしょうか?

 この恐ろしいウイルスが過ぎ去ったら、個人やコミュニティ、国々が愛し合うことを学び、環境に配慮し、新しい世界秩序を創ることをあえて望むことができますか?インド人作家のアルンダティ・ロイはこう述べています。「歴史的に、パンデミックにより、人間は過去と決別し、新たに世界を創造することを余儀なくされてきました。今回も何ら変わりはありません。これは一つの世界と次の世界の間の門戸、入り口なのです」

 大国も小国も、非常に多くの国で行われた都市封鎖は、政府と産業界、一般の人々が一体となり、社会全体の利益(今回は社会全体の健康)のために大きな経済リスクを取れることを示しました。

 この経験は、自然と生物圏の健全性を守るために大胆な行動を取る自信と勇気を私たちに与えてくれています。私たちは自然の枝に座っていることを思い出さなければなりません。自分たちが座っている枝を切ってしまえば、下に落ちることになります。ですから、この危機が過ぎ去ったら、地球と人々を大切にするため共に行動しましょう。

 

サティシュ・クマール (Satish Kumar) は『エレガントシンプリシティ(Elegant Simplicity)』の著者。リサージェンス誌のオンラインショップで購入できます。