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与えること、うけとること

llustration by Charlotte Ager www.charlotteager.co.uk
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サティッシュ・クマールが「与える」精神に思いを馳せる。

 「与える」とは恐れを手放すことです。与える側だけでなく、受けとる側も同じで す。私は本当に恵まれています。見ず知らずの人たちが与えてくれるものを絶えず受け
とっているのですから。
 文化を越え、大陸を越えて、他の人が与えてくれるものを受けとった経験で一番思い 出に残るのは、平和を呼びかけるために 
8,000 マイル (12,874 km)を歩いた時のこと
です。友人の 
E.P. メノンと私は、平和を呼びかけるためにニューデリーにあるマハト マ・ガンジーの墓から、ワシントン D.C. にあるジョン・ケネディの墓まで歩き、世界 で初めて使われた原子力爆弾の犠牲者に敬意を捧げるために東京から広島まで歩きま した。これは徒歩の旅であるだけでなく、お金を持たない旅でもありました。私は恐 怖を払いのけて、心から信じなければなりませんでした。徒歩での長い旅の間、来る日も来る日も、それまで一度も 会ったことのない人が私に食べ物と眠る場所を与えてくれ、愛と祝福を与えてくれることを。 家族や友人にさよならを言ったその日、私たちはインドとパキスタンの国境に立っていました。とりわけ親しかっ た友人の一人、クランティ (Kranti) が私のところにやって来て、食べものが入った包みを私に渡すとこう言いまし た。「少なくとも食べものは持っていかなければ駄目。あなたはパキスタンに行くのよ。インドとパキスタンはカシ ミールのことで 回も戦争してる。まだ戦争状態なのよ。たくさんのインド人がパキスタンは敵国だと思ってる。だ から食べものを持って行って。それにお金も。必要になることがあるかもしれないから」 けれども私の意識はクランティの意識とは違っていました。私は言いました。「君は大切な友達だ。だけどこの長 旅の目的は、敵との間に平和を築くこと、それに普通の人たちのやさしさに触れることなんだ。もしパキスタンに食 べものを持って行ったら、心の恐れを持って行くのと同じになってしまう。恐れは戦争につながる。平和を築くに は、信じなければならないんだ。君がくれる食べものの包みは、ただの食べものの包みじゃない。恐れと疑いの包み でもあるんだ」 クランティの目から涙があふれ出しました。しゃくりあげながらクランティは言いました。「でも、イスラム教の 国もあればキリスト教の国もある。共産主義の国、資本主義の国だってある。知らない場所に知らない言葉、高い 山、広い砂漠、危険な森だって、震えるような雪の場所だってある。お金も食べものも持たないで、どうやって生き 延びるの? もう会えないかもしれないじゃない!」 友人を安心させようとして言いました。「どこに行っても人は人だよ。それに人にはやさしさがある。だけど、食 べものが手に入らないことが時々あったら、その日は断食の日にしよう。お腹がすくことだって楽しめるよ。夜、眠るところが見つからなかったら、100 万星のホテルで眠る。もちろん、 つ星のホテルよりもいいさ。だけど僕は人 を信じてる」 インドの友人たちにさよならを告げた後、パキスタンに入りました。驚いたことに、国境検問所を出るや否や一人 の若い男性に呼び止められました。彼はこう言いました。「私の名前はグラーム・ヤシンといいます。お二人は、平 和のために歩いてパキスタンまで来られている、友好関係を築く使命感をお持ちというインドの方ではありません か」 「ええ、そうです」と私たちは言いました。「でも、どうやって私たちのことを知ったのですか。私たちはパキス タンに知り合いはいません。誰にも手紙も書いていません。それなのにあなたがいらっしゃった。私たちのことや、 平和のために歩くことまでご存じだなんて」 「ご名声は、お見えになる前からこちらにも届いております」とグラーム・ヤシンは答えました。「お二人のこと はお聞きしておりました。ですから私も、『自分も平和を訴えたい。お二人におもてなしをしたい』と思ったので す。そこでお二人をお迎えに上がりました。ようこそパキスタンにお出でくださいました」 真心から出たもてなしの言葉でした。私たちはまったくの見知らぬ人から歓迎されたのです。少し前、友人のクラ ンティはパキスタンの人たちを恐れていました。そして私たちはパキスタンに来て、自分たちとは違う国籍、別の宗 教を信じる、今まで出会ったこともない人から歓迎されていたのです。 青々と茂るマンゴーの木の下に、私たちは立っていました。良い香りのする実がたわわになっていました。ほのか に赤い、緑色のマンゴーの実。甘くて美味しい、自然の恵みへと熟していくところでした。 グラーム・ヤシンは言いました。「私はここから 16 マイル (26 キロ)離れたラホールに住んでいます。今晩のお もてなしをさせてください。何日でも好きなだけお泊りになっていただけます。車にお乗りになって、私の家にお越 しください」 「ご親切なご招待、大変ありがたいです」と私たちは言いました。「喜んで今晩お邪魔させてください。ご住所を お教えいただけませんか。私たちは歩かなければなりません。車に乗せていただくわけにはいかないのです」 約束通り、彼は美しいシャーリーマール庭園の門の前で私たちを迎えてくれました。夕暮れの太陽は、荘厳な金曜 モスクの後ろに沈んでいく火の玉のようでした。辺りにたちこめるかぐわしいジャスミンの花の香り。豊かな恵みを 与える自然と、グラーム・ヤシンの親切な心が、まるで競い合っているかのようでした。 その日の間、グラーム・ヤシンは友人を招待するのに忙しくしていました。「理想をもって、平和のために世界中 を歩く旅をはじめた二人のインド人が家に泊まりに来ているんだ」。 そうして彼の友人と家族が、豪勢なベジタリア ン料理のご馳走に集まりました。ヤシン一家はベジタリアンではないにもかかわらずです。サルタナス、アーモン ド、カルダモンを合わせたサフランライス、タンドールのオーブンで焼き上げたばかりのナン、玉ねぎとニンニクと トマトソースで煮込んだ豆とジャガイモ、他にも美味しい料理の数々が並びました。旅に出たまさにその日、私たち は敵国といわれる地で、この上もなく親切なもてなしを受けたのです。

 続く 年と カ月の間、旅の道中で私たちの生活を世話してくれたのは、見ず知らずの人のこれ以上ない親切心でした。アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈の中、海抜 3353 メートルに張られたユルト[円形型移動テント]、 イランの砂漠のオアシスに点在する小さな村に立てられた泥壁の小屋、雪の積もった アルメニアとジョージアの田舎 の小さな家、ロシアの農家、モスクワや西ヨーロッパの活気あふれる街や郊外の高層アパート。ベルリンでもボンでも、パリでもロンドンでも、ニューヨークでも東京でも、人が生まれ持った親切心が、冷戦真っただ中を歩いたとい う事実にもかかわらず、行く先々すべての場所で私たちの命をつないでくれました。個人宅で、ユースホステルで、 病院で、警察署で、教会で、学生寮で私たちはもてなしを受けました。どこに行っても、二度と会うことのない人た ちから親切なもてなしをうけました。もてなしてくれた人たちが私たちに見返りを求めたことは一度たりともありま せん。この無条件に与えるという行為は例外ではなく、「いつものこと」でした。信頼は信頼を生みます。愛は愛を 生みます。与える心は与える心を生みます。 無償の贈り物はあらゆる形でやってきます。私たちは一人残らず、全世界のあらゆるところからやって来る絵や詩 や音楽、文化に知恵という無償の贈り物をあたえられているのではありませんか。私たちは祖先からの無償の贈り物 をありがたく受けとっています。手工芸、芸術、建築、文学、哲学という宝物を、祖先は私たちに残してくれました。 私が生まれた時、私は一糸まとわず、か弱い存在でした。けれども慈悲深いこの世界はただひたすらに恵みをあた える存在であり、私の母の胸に母乳をさずけてくれました。私の母は偉大でした。すべての母親は偉大なのです。私 にとって母性と「与える」ことは同じ意味を持つ言葉です。すべての母親は、わたくし無く「与える」生きた見本で あり、無条件の愛の化身なのです。母親を批判したり、文句や裁くようなことを言ったりするのではなく、私たちは 母親が持つ与える心を認め、母親に対して感謝と敬意を表す必要があります。 「与える」ことは人間だけに限った特性ではありません。毎日、ただひたすらに与える自然を目の当たりにして驚 くばかりです。 30 年前、私はリンゴの苗木を植えました。この小さな苗木は美しい木に成長し、この 25 年間、毎年 たくさんの実をつけてくれます。この木が私に見返りを要求することは決してありません。木々から無償の愛と与え ることを私は学んでいます。 くだもの、花、穀物、ハーブに無数の野菜の品種、その色や香りや形は、毎日私たちの空腹を満たし、栄養を与え てくれます。こうした植物はすべて、見返りをもとめることのない慎ましい土のおかげで育ちます。私たち人間は無 知から、あるいは傲慢さから、自然が与えてくれることを当たり前に考えています。一方で、「自然は人間に与えている」という真実に気づき、感謝を表す人が増えてきています。私もそのひとりです。木よ、ありがとう。土よ、あ りがとう。雨よ、ありがとう。太陽の光よ、ありがとう。自然よ、ありがとう。ガイアの女神よ、ありがとう。 互いにかかわりあい、相互に依存しあうことは、「与える」という家の土台石です。見知らぬ人から、祖先から、 自然から、あまりにも多くのものを受けとってきた私ですから、私のところに来る見ず知らずの人に、私も与えられ るようにと願います。次の世代に与えられるように、次の世代の人たちに何か良いものを残せるようにと願います。 そして、自分の菜園に苗木を植え、土づくりをし、パーマカルチャーやアグロエコロジーのような再生可能な形で食 べものづくりをすることで、自然に何かを返せるようにと願っています。 この地球上のすべての生きとし生きるものが、人間もそれ以外の生きものも、平和に不自由なく暮らし、自らを実 現して、満ち足りることができますように。人類全体と地球全体のために、私がこの「与える」心を育むことができ ますように。

 

サティシュ・クマールの新書『Pilgrimage for Peace: The Long Walk from India to Washington(仮題:平和を求める歩み: インドからワシントンまでの長い道のり)』はグリーン・ブックスから出版。2021 年 月よりリサージェンス・トラ ストで購入可。www.resurgence.org/shop