愛という遺産

llustration by Charlotte Ager www.charlotteager.co.uk
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サティッシュ・クマールが政治と詩について考える。

 

翻訳:浅野 綾子   

 

今年初めにジョー・バイデン氏がアメリカ合衆国第 46 代大統領に就任したのは大変良い知らせでした。バイデン氏は根本的変革主義にもとづく最初の行動として、大統領執務室にローザ・パークス、マーティン・ルーサー・キング、セザール・チャベスの胸像を置きましたが、それを見て私は胸が一杯になりました。

 ローザ・パークスはアラバマ州モンゴメリーのバスボイコット運動のきっかけをつくりました。パークスは白人至上主義・人種隔離政策に挑み、アメリカ合衆国議会に「公民権のファーストレディ」、「解放運動の母」と称賛されました。パークスの実力行使主義は非暴力主義に根差していました。マーティン・ルーサー・キングはバスボイコット運動の指導者であっただけでなく、人種差別や社会不正義に対しての非暴力抵抗の擁護者として、公に最も取り上げられた人物でした。キング牧師は希望・一体・調和の運動に身を捧げました。セザール・チャベスは根本的変革を求める非暴力の活動家で、カリフォルニア州の労働者や農家、虐げられたブドウ摘み作業従事者を守りました。

このような勇気ある運動家、非暴力の先駆者に敬意を表することによって、バイデン氏は人種の調和・経済の平等・社会正義という強力なメッセージを送っています。

 アマンダ・ゴーマン氏がバイデン夫妻に指名され、大統領就任式で詩を朗読したことも大変な喜びでした。ゴーマン氏が書いた詩は何と素晴らしいことか。人はこれほどまでに力強く詩を詠いあげることができるのでしょうか。ひとつひとつの音節に、根本的変革主義が鳴り響いていました。ゴーマン氏の機知に、智恵に、ビジョンに、私の心は動かされ、圧倒されました。

 「慈悲と権力を重ね合わせ、権力と正義をつなぎ合わせるなら、愛は未来への遺産となり、子供たちが生まれながらに手にする権利を変えることができます」。

 ゴーマン氏は真に才能にあふれた詩人であり、真実と非暴力という贈り物を、今という時代にもたらしています。

毎朝、私は気持ちを奮い立たせるものとしてこの詩を何度も読んでいるのです。ゴーマン氏の言葉には気品があります。シンプルで、心にすっと入ってきます。「勝利は刃のもとになく、私たちがかけたすべての橋とともにあるのです」。ゴーマン氏がこのように詠った時、その言葉は平和による政治を連想させました。

 この詩は非暴力の政治に向けたマニフェストです。ゴーマン氏には 2036 年の大統領選挙に立候補するという目標があります。「やせっぽちの黒人の少女/先祖は奴隷、シングルマザーに育てられ/そんな少女も大統領になることを夢見ることができます」。詩人が一国の大統領になれるなら素晴らしいことです。ゴーマン氏がホワイトハウスにいる姿をシェリーが見たなら喜ぶことでしょう。シェリーは信じていました。詩人は「人知れずこの世の法をつくる者」だと。これほどまでに誠実で想像力にあふれたゴーマン氏が大統領の地位にたどり着いた姿を見れば、パークス、キング牧師、チャベスも、その偉業を褒めたたえるに違いありません。権力への愛よりも愛の力を信じる者にとって、「人と人との間に立ちはだかるものではなく、人々の前にあるもの」を見上げる者を、「分断を広げることを決して繰り返さない」者を、「この傷ついた世界を素晴らしい世界へ」変えることを誓う者を、その目にするのは何よりも嬉しいことではないでしょうか。

 政治と詩が結びつけば、間違いなく世界は良い場所になります。

 アマンダ・ゴーマン氏とグレタ・トゥーンベリ氏は、今とは本質的に異なる未来に向けて新たな深いビジョンをもつ、前途有望な若い世代です。今とは本質的に異なる未来。それは、狭量なナショナリズムや忌々しい人種差別主義、心を蝕む大量消費主義によって生み出されたつまらない問題を、人間が克服する未来です。私たち古い世代の人間は、若者や黒人や女性の活動家の声に深く関心を払わなければなりません。心から彼らを受け入れて、ためらわずに、遠慮せずに、支援しなければならないのです。

 

非暴力
 ホワイトハウスでのまさに第一日目、バイデン氏はアメリカ合衆国連邦政府がパリ協定に復帰すること、合衆国の地において石油探索を禁止することを宣言しました。これは胸のすくような宣言でした。大気を温室効果ガスで汚染し、酷い状態にしてしまうことは、自然に対する甚だしく暴力的な行為です。気候危機を喫緊の課題として扱うことは自然やこの尊い地球と和睦するひとつの方法です。この宣言によって世界中の環境活動家が勇気づけられています。バイデン氏、よくぞ言ってくれました。

 環境正義と社会正義がそろえば、民主主義に尊厳がそなわります。

 バイデン氏が大統領の地位についたのは、アメリカの統治機関、立法府の家である連邦議会への暴力的侵入行為が行われた後でした。この侵入行為によって選挙作業が反故にされることはなく、侵入行為の目的が果たされることはありませんでしたが、非暴力によらない民主主義はもろく、不安定であることを見せてくれました。非暴力は民主主義が十分に機能するための必要条件です。パークス、キング牧師、チャベスは、非暴力で隙間なく固められた民主主義の擁護者でした。バイデン氏はパークス、キング牧師、チャベスの胸像を大統領執務室に置いているのですから、政府の政策の中心に、非暴力と民主主義を置かなければなりません。なぜなら非暴力は民主主義の根本だからです。すべての学校・大学は、非暴力という基礎の上に築かれた民主主義についての研究と実践を、教育システムの中核テーマにしなければなりません。

 

寛容の文化

 アメリカ合衆国の歴史は、暴力の歴史です。先住民の人々に対する暴力、黒人の人々に対する暴力、自然界に対する暴力です。信じられないほど多くの暴力行為が、毎日目撃されています。およそ 3 億人が住む国で、4 憶丁近くもの銃が一般市民の手中にあります。民主主義世界のリーダーと主張する国が、これだけの規模で銃文化を信奉するのは、信じがたい矛盾です。

 大統領就任演説でバイデン氏は言いました。「民主主義は尊いです。民主主義は脆いです。そして今この時代、みなさん、民主主義は広く行き渡っているのです」。そうであったことを嬉しく思います。けれども、民主主義がこのような暴力の文化の中で、いつまでも永らえるという保証はありません。バイデン氏がゴーマン氏の言葉に敬意を払い、現在と未来の世代へ愛という遺産を残したいのなら、銃の文化が寛容の文化に変わるよう促しながら、教育や立法を通じて暴力という力をそぎ落とす取り組みをはじめること、さらにはその力を小さくしていくことが必要です。愛という遺産は単なる個人的な道徳の問題ではありません。愛は、政治的枠組みの必要不可欠な要素であり、そうあるべきなのです。ゴーマン氏はこう詠みあげました。「誰も傷つかないことを、そしてすべての人が調和することを求めるのです」。これは他ならない非暴力です。「すべて」は本当の意味ですべての人を意味しなければなりません。憎しみの傷を癒すためにバイデン氏に必要なのは、愛という名の香油です。

 大統領の執務室にローザ・パークス、マーティン・ルーサー・キング、セザール・チャベスの胸像があることは素晴らしいことです。アマンダ・ゴーマンをして大統領就任式で平和の詩を朗読せしめたことは、人々の心を励ます行いです。そしてバイデン大統領が気候変動を国家の危機と呼ぶのは勇敢な行為です。この上パークス、キング牧師、チャベス、ゴーマンが推し進めた非暴力主義を合衆国憲法に謳うことができるなら、さらなる新たな世界を切り拓くこととなり、人々の心を奮い立たせることになるでしょう。これは非常に困難な仕事です。バイデン氏に無理難題を押しつけるにも等しいといえましょう。でも間違いありません。大統領、これこそが「私たちが登る丘」なのです。 

 

サティシュは『Pilgrimage for Peace: The Long Walk from India to Washington』の著者。こちらから www.resurgence.org/shop  入手いただけます。