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新しい章の始まり

サティシュ・クマールは、私たちは分断から団結の道へと移る必要があると言う。

翻訳:林田 幸子/校正 :沓名 輝政     

 

近代文明の支配的な歴史は、分断の歴史です。物質主義経済や機械科学の観点からは、自然は、単に機械で、地球はただの死んだ岩なのです。自然は、無生物で、単に経済のための資源、つまりは生産、消費、経済成長のための資源だと当然のように思われています。この視点では、人間と自然は、完全に分断されているように見えます。さらに、人間は、自然よりも優れていると考えられています。自然の価値は、人間への有用性の観点だけで計られています。せいぜい「生態系サービス」に分類される程度です。

 それは、広く蔓延している分断の道であり、二元論です。

 しかし幸運にも、新たな歴史が生まれています。これはガイア理論のことで、自然は機械ではなく、地球は死んだ岩ではないと主張する科学です。むしろ、自然は活気に満ちた、生命力溢れるものです。ガイア、地球は、生命体であり、意識があり、知的で、元気に生きているのです。これは、質や意味の科学で、量や計測の科学と並ぶものです。

 科学におけるホリスティックなアプローチに沿って、新しい物語が哲学の中に生まれるのです。これが、ディープエコロジーです。これによると、自然は、その有用性に関係なく固有の価値があります。例えば、木は、木の実や果物を実らせたり、酸素を生み出したり、二酸化炭素の大気中への排出を抑制したりするという理由からではなく、それ自体で本来、宇宙霊魂、つまり生物界の不可欠な部分として、素晴らしいのです。

 さらに、新しい物語は、経済においても生まれています。それは、再生型の経済です。この見方では、廃棄物、汚染や地球温暖化を引き起こす使い捨ての線型経済学は、循環型経済に取って変わります。自然で何が起ころうとも、自然に戻っていきます。この新しい経済は、生態系の制限内で機能し、経済的正義や社会の調和を保証する、ドーナツのメタファーを用いています。

 この点から言うと、人類は、人間の権利と同様に自然と地球の権利を維持しなければいけません。川は、下水の汚染がないきれいな状態のままである権利を持っています。海は、プラスチック汚染がない状態の権利があるのです。自然と人々は自由と平等の中で生きる権利があるのです。

 この新しい物語は、生命の団結の物語です。生きとしいける全てのものの関係を陰に陽に認めます。他と全く別の構成品やばらばらの存在というよりもむしろ、私たちは全て、生命の複雑なつながりに不可欠です。相関、互恵、結びつきは、存在する上での基本原則なのです。

 この物語では、人間と自然は交わっています。心と物、魂と身体は、お互いに分けられるものではなく、対立するものでもありません。魂がなければ、身体は無能であり、身体がなければ、魂は無能です。人は、他の人がいなければ存在することはできません。一緒にダンスしています。ダンスとダンサーが離れることができないように、心と物、身体と魂は離れることができないし、自然と人間も別々にはなれません。

 分離の歴史は、戦争、貧困、人種差別、不平等が原因でもあります。最初に、私たちは自然と人間の間に分離と分裂を生み出します。そしてそれから、ナショナリズム、宗教、政治、人種、ジェンダーといった事柄において、人々との間に分離と分裂を生み出します。進化が生み出され、生命の団結の中で多様性を讃えますが、分離の支配的な歴史は、相互依存の不変の真実を抑圧しながら、分裂や紛争を生み出します。

 団結は、単一性ということではありません。団結は、多様性を暗に示しています。多様性は分裂ではありません。私たちは多様性を愛し、褒めたたえ、そして全ての分裂を癒します。

 古い歴史の支持者は、科学技術を通して全ての問題に対して解決を求めています。科学技術は救世主で、宗教で、避難所なのです。石油やガス、石炭に頼るのを減らすよう主張する一方で、エネルギー資源を無制限に探し求めています。なんとかして、思想や世界観、枠組み、価値観などを変えずに、経済成長の政策を無制限に求め続けています。彼らのために、自然は、経済のための資源を維持し続けているのです。

もちろん科学技術にも役割はあります。しかし新しい科学技術は、分断の歴史を支えて維持しながら、新しい問題を引き起こすことにもなるでしょう。新しい科学技術は、団結の中で多様性を褒めたたえる新しい枠組み、世界観、価値観を生み出す、新しい物語に合わせて、発展していく必要があります。

 分断の歴史の中で、自然と人間は、単に目的を達成する手段に過ぎません。目的とは経済成長です。最終目的は、収益のために生産と消費を増やし続け、賃借対照表における利益を示さなければなりません。生産、消費、経済的利益が、有益な目的にかなうかどうかというのは、要点ではないのです。工業用の機械は、起動し続けなければいけないし、市場のために大量生産し続けなければいけません。人々がそれらの製品を必要かどうかは、完全に無関係なのです。人々は市場を維持し、経済を成長させ続けるために製品を買い続けなければいけません。巨額のお金が必要のない欲求や誘惑を生み出すための広告に費やされるのです。

 ますます多くの人々が、この分断が無益で持続不可能だと気づています。

 団結という新しい物語の出現で、人々と地球の心身の幸福が目標となり、生産、消費、経済は、目標達成の手段です。最終目標は、惑星の心身の幸福を達成することです。生産は、市場のためになるべきではありません。生産は、地球の再生能力の限度内で、真のニーズを満たすべきです。ニーズに基づいた生産は、ゼロウェイストで最小の汚染に抑えるようにして作られるべきです。こうして、人々は家族や友人、文化や創造性、不思議さや驚きを通して、そしてエレガントシンプリシティを実践しながら、幸せや満足感を見出していくことでしょう。

 だからこそ、分断から団結の道へと移りましょう。そして、生物、文化、宗教、政治、真実といった全ての事柄においての多様性を褒めたたえましょう。

 

 

サティシュ・クマールは『エレガント・シンプリシティ: 「簡素」に美しく生きる』の著者。オーディオ版と印刷版はこちらから。www.resurgence.org/shop